ドイツの人気観光スポット「ベルリンの壁」が想像以上に芸術的だった

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はじめに

ドイツの観光地として人気が高い「ベルリン」

ナチス東西ドイツ分裂など、歴史の教科書などで我々もよく耳にする有名なこの都市ですが、日本から遠いこともあり、あまり詳しく知らない人も多いかもしれません。

 

オシャレな印象がある「パリ」や、ロマンチックな場所として有名な「ローマ」など、華やかで魅力的な観光地がたくさんあるユーロッパですが、ここ「ベルリン」にも他の都市にはない奥深い魅力がたくさんあり、訪れる人々を魅了してくれます。

 

 

歴史を感じる町、ベルリン

ベルリンは、ドイツの首都でありドイツ国内で一番大きい都市。

人口はロンドンに続いて2位ということで、ここには多くの人々が暮らしています。

 

皆さんご存知の通り、ベルリンは第二次世界大戦後、アメリカ・イギリスなどの連合軍と当時のソ連軍が東西を分割して統治をしたことで有名ですね。

その時の象徴として、今でも有名なのが「ベルリンの壁」だと思います。

 

現地には、未だに当時の建造物がそのまま残されており、その時の様子を生々しく感じることができます。

ちなみに去年の2014年は、ベルリンの壁崩壊からちょうど「25周年」の記念すべき年だったということで、ベルリン市内では盛大なセレモニーが行われたそうです。

 

 

 

ベルリンの壁って?

歴史の教科書でも習ったと思いますが、ベルリンの壁が建てられたのは1961年8月13日。冷戦真っ只中の時でした。

目的は東ベルリンから西ベルリンへの人口流出を防ぐために東ドイツ政府によって建設され、その長さは全長は47kmにもおよびました。

 なんでも住民たちは、この壁が建設されることを知らされておらず、朝起きてみると急に壁ができていたそうです。

 

もともと東ベルリンと西ベルリンの行き来は自由だったみたいですが、この壁ができてからは東西の行き来は政府が管理するようになりました。

冷戦が激化し、次第に東側と西側で大きな経済格差が生まれるようになると、東側の人々はよりよい生活を求め西側に亡命を図ろうとしましたが、東ドイツ政府の厳戒体制により、この願いはなかなか叶いませんでした。(西側はアメリカの潤沢な物資支援のおかげで東側よりもかなりいい暮らしが出来ていたみたいです)

 

最終的にベルリンの壁が崩壊するのは1989年11月10日ということで、実に28年間もベルリンは東側と西側に分断されていました。

なので「ベルリンの壁崩壊」は、当時の人々にとって自由獲得の象徴という出来事になりました。

 

 

 

「キャンパス」として存在したベルリンの壁

東と西を分裂し、悲しい歴史を持つベルリンの壁ですが、1989年に崩壊された後は世界中のアーティストがこの壁を訪れ、「自由」と「ユートピア」をモチーフに118人のアーティストが作品を描きました。

なぜなら、東西が分裂されていた当時、ベルリンの壁は「越えられないもの」の象徴でした。しかし、その壁が崩壊されるということは、人々が再び「自由」を手に入れたことを表すことになり、芸術家はそれを祝福して自由やユートピアをテーマにした作品を残したと考えられています。

 

のちに、たくさんの芸術的な作品が残る東側の壁は「East Side Gallery (イースト・サイド・ギャラリー)」と呼ばれ、貴重な文化財として保存されるようになりました。

今でも、この壁を一目見ようと世界中から観光客が訪れるそうです。

 

 

 

芸術的と称される「おじさん達のキス」

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East Side Galleryには様々な作品がありますが、中でも世界的に有名なのが、ロシア人のアーティストのドミトリー・ヴルーベリ氏が描いた「兄弟のキス」と呼ばれる絵。

旧ソ連のブレジネフ書記長と旧東ドイツの政治家ホーネッカー国家評議会議長が情熱的なキスをしている作品です。

 これは、冷戦時代のソ連と東ドイツの密接な関係を揶揄した風刺画ですが、なんと実際でも彼らはキスを交わしていたそうです。(ロシアには友好関係を表すときに、男性でもキスをするらしい)

 

ベルリンの壁崩壊から20年の記念の年に、この絵を描いた本人の手によって書き直し作業が行われました

 

 

 

ベルリンの壁を象徴するカラフルな頭たち 

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写真が大きくてすみません。笑 

ベルリンのお土産ショップに行くと、かならずこのカラフルな頭たちを見るぐらいベルリンの壁で有名なこちらの作品は、ティエリー・ノアールが描いたもの。

ハッとするほど鮮やかな色彩が特徴で、これと似た作品はベルリン市内でも見られますが、やはりベルリンの壁を訪れたら、絶対に見ておくべき作品ですね。

 

この他にも、東ドイツでよく乗られていた車「トラバント」をモチーフにした「Test the Rest (テスト・ザ・レスト)や、政治的なメッセージ・冷戦の恐怖を伝えるガブリエル・ハイムラーの「壁を跳ぶ男」も有名です。

とにかく全長1kmの壁が全てキャンパス状態になっているため、1度訪れてしまえば作品は全て壁続きにあるのでとても見やすいですよ。

 

 

 

East Side Galleryまでの行きかた

East Side Galleryには周りに駅がいくつかありますが、今回私が行ったルートは市電の「S Bahn(JRみたいな電車)」を使い、「Warschauer Strasse駅」で下車。

階段を登り、左に曲がって少し下ってしばらく歩くと、すぐそこからEast Side Galleryが見えます。(駅から歩くと、右手側の方にベルリンの壁が続きます)

 

市電ってなに?S-Bahnってなに?って人は、私が以前書いたドイツの交通事情についてのこちらのブログを参考にしてください。

 

world-trip-record.hatenablog.com

 

この駅は当時の東側に位置する駅なのですが、坂道を下って行くと、ちょうど西ベルリン側の地域も見ることができますが、個人的には西側と東側で未だにけっこう違うなーと思いました。(建物の造りとか街の雰囲気とか)

 

また、ここはベルリンの壁に近いこともあり、結構ホームレスとかヒッピーみたいな人々がたくさんいるので少し怖く感じるかもしれません。なんでも、最近ドイツでは家を持たず、あえてヒッピーみたいに暮らす若者が増えているんだとか。

あ。ちなみに間違ってもこの地域へ夜は行かないでくださいね。

けっこう危ないので。

 

 

 

たった25年前のこと

歴史の教科書の中でしか習わなかったので、あまり現実味がなかったですが、現地を訪れ、生々しくのこる鉄線や監視ポイントの跡地を見ると、そこには確かに悲しい歴史があったことが肌で感じられます。そして、人々が再び自由を手に入れてからまだたった25年しか経っていないという事。

 

ドイツ人の友人は「西ドイツ製」のタオルを持っていますし、ドイツ国内の他のの都市の雰囲気も、東側と西側でかなり違います。

さらに、未だに西ドイツ側の市民は東ドイツ側の市民よりも高い税金を払い、崩壊していた東側のインフラの復興を手助けしています。これには賛否両論の意見がありますが、よくよく考えればたった25年で、ドイツがここまで統一され、ヨーロッパの中でも経済的に裕福になれた事は本当に驚きます。

 

サッカー・ビール・ソーセージと、ドイツには有名なものがたくさんありますが、ここベルリンを訪れた時には、ドイツが抱えた「闇の歴史」に触れ、歴史を感じてみるのもいいですよ。